3. アラブ人の来訪とパレスチナの動き(その1)
<<2. ユダヤの歴史(その2)
このパレスチナの地に、初めてアラブ人が現れたのは、632年のことである。アラブ人は先述の通り、ユダヤ人と同じセム族に属し、主として回教を信仰していた。
アラブ人が来訪した当初は、ユダヤ人、キリスト教徒との共存共栄を目指したが、717年にオマル2世が権力を握ったときから、少しずつその関係が崩れていった。
アラブ人とユダヤ人の間に対立が生まれたのは、たぶんこの頃からである。このときはまだ、単なる宗教の相違による対立でしかなかった。
オマル2世は、すべての教徒にターバンの着用を義務づけ、ターバンの種類によって属している宗教を見分けようとした。たとえば、キリスト教は白色のターバン、イスラム教は青色・・・という形である。
また、キリスト教の聖墳墓を破壊し、さらにはユダヤ教徒、キリスト教徒にイスラム教への改宗命令を発したのである(改宗命令は後に撤回された)。
この時から、ユダヤ人はディンミ(非保護民)として生きることになり、また非イスラム教徒のために重い土地税がかけられ、せっかく戻りつつあったユダヤ人社会は、このような社会的、経済的差別によって急速に縮小していった。
3. アラブ人の来訪とパレスチナの動き(その2)>>
このパレスチナの地に、初めてアラブ人が現れたのは、632年のことである。アラブ人は先述の通り、ユダヤ人と同じセム族に属し、主として回教を信仰していた。
アラブ人が来訪した当初は、ユダヤ人、キリスト教徒との共存共栄を目指したが、717年にオマル2世が権力を握ったときから、少しずつその関係が崩れていった。
アラブ人とユダヤ人の間に対立が生まれたのは、たぶんこの頃からである。このときはまだ、単なる宗教の相違による対立でしかなかった。
オマル2世は、すべての教徒にターバンの着用を義務づけ、ターバンの種類によって属している宗教を見分けようとした。たとえば、キリスト教は白色のターバン、イスラム教は青色・・・という形である。
また、キリスト教の聖墳墓を破壊し、さらにはユダヤ教徒、キリスト教徒にイスラム教への改宗命令を発したのである(改宗命令は後に撤回された)。
この時から、ユダヤ人はディンミ(非保護民)として生きることになり、また非イスラム教徒のために重い土地税がかけられ、せっかく戻りつつあったユダヤ人社会は、このような社会的、経済的差別によって急速に縮小していった。
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