パレスチナとイスラエル

  • パレスチナとイスラエルの歴史

  • 1. 古代ユダヤ教の成立(その1)
    1. 古代ユダヤ教の成立(その2)
    1. 古代ユダヤ教の成立(その3)
    2. ユダヤの歴史(その1)
    2. ユダヤの歴史(その2)
    3. アラブ人の来訪とパレスチナの動き(その1)
    3. アラブ人の来訪とパレスチナの動き(その2)
    3. アラブ人の来訪とパレスチナの動き(その3)
    4. シオニズム運動(その1)
    4. シオニズム運動(その2)
    5. 対立の激化(その1)
    5. 対立の激化(その2)
    5. 対立の激化(その3)
    5. 対立の激化(その4)
    5. 対立の激化(その5)
    6. 対立から和平へ(その1)
    6. 対立から和平へ(その2)
    6. 対立から和平へ(その3)

    木曜日, 10月 05, 2006

    3. アラブ人の来訪とパレスチナの動き(その3)

    <<3. アラブ人の来訪とパレスチナの動き(その2)

    マムルーク朝時代は、十字軍の来攻を恐れて港湾を閉鎖してしまったために、海外貿易は閉ざされ、経済は停滞し、国の衰退と共に聖地も荒廃していった。マムルーク朝は、その頃勢力を伸ばしつつあったオスマントルコに敗北し、聖地支配もオスマントルコの手に渡った。オスマントルコの最盛期は、1520?1566年のスレイマン荘麗王時代である。

    そして、この頃になってようやく、ユダヤ人社会を取り巻く環境も改善され始めた。

    人口も北アフリカやヨーロッパのユダヤ人が移住してきたために確実に増え始めた。ガラリア地方のツファットでは、特に立法研究地として栄え、ユダヤ教の経典であるシュルハン・アルーフの編纂などが行われた。

    しかし、オスマントルコの衰退と共に、18世紀末に荒廃してしまった。

    聖地エルサレムは19世紀に入り、再びヨーロッパの進出期を迎えた。英・米・仏・露・オーストリアの領事館が開設され、定期便も就航し、電信・郵便制度の発展、スエズ運河の開通など、目覚しいものであった。

    ユダヤ人社会も環境が改善され、移住者の流入によって人口が増加し、市街地も建設された。

    4. シオニズム運動(その1)>>