パレスチナとイスラエル

  • パレスチナとイスラエルの歴史

  • 1. 古代ユダヤ教の成立(その1)
    1. 古代ユダヤ教の成立(その2)
    1. 古代ユダヤ教の成立(その3)
    2. ユダヤの歴史(その1)
    2. ユダヤの歴史(その2)
    3. アラブ人の来訪とパレスチナの動き(その1)
    3. アラブ人の来訪とパレスチナの動き(その2)
    3. アラブ人の来訪とパレスチナの動き(その3)
    4. シオニズム運動(その1)
    4. シオニズム運動(その2)
    5. 対立の激化(その1)
    5. 対立の激化(その2)
    5. 対立の激化(その3)
    5. 対立の激化(その4)
    5. 対立の激化(その5)
    6. 対立から和平へ(その1)
    6. 対立から和平へ(その2)
    6. 対立から和平へ(その3)

    木曜日, 10月 05, 2006

    5. 対立の激化(その2)

    <<5. 対立の激化(その1)

    1921年のカイロ会議で、パレスチナは2分されることが決定した。東西に分割し、東はトランスヨルダンとしてアラブ人国家にし、西側をパレスチナとした。

    こうして初めて、ユダヤ人国家が明確な範囲で地理的に位置づけられた。シオニストたちもこれに対応して、ユダヤ人代表機関を設立し、主として入植管理を行うことになった。

    ここで大きな問題が発生した。

    このユダヤ人国家建設予定地であるパレスチナ内に住む人々も、同時に「パレスチナ人」となってしまったのだ。つまり、アラブ民族であっても西側に住んでいた人たちはパレスチナ人となったのである。

    この事実こそが、後々のアラブ諸国とイスラエルの対立を激化させる最大の要因であったと私は考える。

    1920年代末になると、各地からのユダヤ移民が増え、ユダヤ人による農地の占拠が進み、アラブ農民は離村に追い込まれた。この頃から、対立の構図が少しずつ変わり始めた。今までの歴史を見る限り、ユダヤ民族とアラブ民族の対立は、宗教的際が原因であったはずである。

    ところが、この頃のパレスチナではアラブ民族であるために迫害されるようになってしまったのである。たとえ、ユダヤ教徒であったとしてもである。 こうして、宗教的対立から、民族間の対立へと変化していくのである。

    5. 対立の激化(その3)>>